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2012年11月20日 (火)

京都・清水寺の紅葉と「アテルイとモレの碑」

11月19日、京都・五条の清水寺(きよみずでら)に行ってきました。さすがに紅葉シーズンど真ん中です。周辺の駐車場はどこも満員のようです。(写真はクリックすれば拡大します)

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それにもかまわずに、清水寺の参道を上がっていきます。途中で右折し、「茶わん坂」を上がると、西門の手前にある駐車場に着きます。一番近くのこの駐車場は、いつも空いています。

0005 駐車場を出ると、すぐそこに、三重の塔が見えます。ここから西門まで、徒歩1~2分です。

音羽山 清水寺」という寺名は、音羽山中より今もなお途切れることなくこんこんと湧き、音羽の瀧に流れる霊泉に由来しています。また、「清水の舞台」でも有名なところです。
778年(宝亀9)に、延鎮上人が開山し、798年(延暦17)に、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が創建したと伝えられています。

車から降りて西門へ向かうと、これまで出ていたイヤな雲がすっかり晴れ、日が差してきました。気温も高く、コートが要らないくらいです

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西門の前を通り正面にまわり、「仁王門」から境内に入っていくことにします。                       

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周囲をあれこれ眺めながら、奥へと入っていきます。

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階段を上がると

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重要文化財の鐘楼」があります。

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さらに奥に進むと、轟(とどろき)門からは有料です。

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入り口に立ち止まり、ふと後ろを振り返ると、こんな風景が・・・。

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十分紅葉は堪能したので、ここでUターンしても良いのですが、せっかく来たので、「清水の舞台」を覗いてくることにして、入場券(300円)を購入しました。

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縁結びで、女性に人気のある「地主(じしゅ)神社」を左手に見ながら進むと、「本堂」です。

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本堂では、お賽銭も入れて、ちゃんとお参りもしました。合掌。

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舞台の上は、たくさんの人で満杯です。下を見ると・・・。さすがにここから飛び降りる勇気はありません。

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左手の下に、「音羽の瀧(おとわのたき)」も見えます。清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となったのがこの瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。
3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願するため、連日、行列ができるほどの人気の場所ですが、見ての通り、今日もたくさんの方が並んでいます。

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京都市街の眺望が見事です。京都タワーも見えますね。

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昔から思い切って決心することを「清水の舞台から飛んだつもりで・・・」といいますが、その語源となったのが、この場所です。

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錦雲渓(きんうんけい)の急な崖に、最長約12メートルの巨大な欅の柱を並べ、「懸造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築です。

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本堂から張り出した「舞台」はちょうど4階建てのビルの高さにあたります。面積は約190平方メートル、410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた「桧舞台」です。

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下に降りてきました。「舞台」を下から見ると、こんな感じです。

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さらに下に降りていくと、「アテルイ・モレの碑」があります。ここにも、綺麗な花がたくさん手向けられていました。枚方の牧野公園には「首塚」(←クリックするとBlogへ)もあります。

石碑に刻まれているのは、現在の岩手県奥州市地域を本拠地とした蝦夷(えみし)の首長・阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の名前です。

二人は平安朝廷の東北平定政策に対して勇敢に戦いましたが、郷土の犠牲に心を痛め、征夷大将軍・坂上田村麻呂の軍門に下りました。

田村麻呂は両雄の武勇、器量を惜しみ、朝廷に助命嘆願しましたが、許されず処刑されてしまいました。
石碑は、平安建都1200年を期して1994(平成6)年に有志により建立されました。

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・・・以下は写真の石碑に記された文面です。

「八世紀末頃、日高見国胆沢(岩手県水沢市地方)を本拠とした蝦夷の首領・阿弖流為(アテルイ)は中央政府の数次に亘る侵略に対し数十年に及ぶ奮闘も空しく、遂に坂上田村麻呂の軍門に降り同胞の母礼(モレ)と共に京都に連行された。
田村麻呂は敵将ながらアテルイ、モレの武勇、人物を惜しみ政府に助命嘆願したが容れられず、アテルイ、モレ両雄は、八〇二年河内国で処刑された。
この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内にアテルイ、モレ顕彰碑を建立す。 」  

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ここから、「三重の塔」を右手に見ながら、ぶらぶらと西門の方に下っていきました。

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途中で少し休憩し、「三重の塔」の写真を・・・。

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茶店前の庭園の写真を撮り、帰路につきました。

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京都・清水寺の紅葉と「アテルイとモレの碑」を参照しているブログ:

コメント

先日行ったときは、夜で、初めてこんなに紅葉が見事だったのかと、
全容がわかりました。
たっぷりの写真で、見ごたえがありました。
ここで昼間のお寺を見せていただきました。
ありがとう~。
アテルイの物語、今度テレビドラマになるのですよね。
清水寺にこんな記念碑まであったとは。
ドラマ楽しみですね。

mizuhoさん、こんばんは。
書き込み有り難うございます。

それにしてもたくさんの人でしたが、清水寺の紅葉、十分堪能しました。
今回の紅葉見物は、「アテルイとモレの碑を紹介したかったと言うこともあって、こちらにしました。

お早うございます。
京都は修学旅行を含めて5回ほどしか訪れていませんが
清水の舞台に上がった事も無く・・・いつかと思います。

上がったことが無いので「舞台から飛ぶ」程の勇気が持てないのかもしれませんね(;_;)

紅葉が綺麗ですね。

みるみるさん、おはようございます。
いつも有り難うございます。
修学旅行のコースに入っていないとは、残念でしたね。
五条坂、清水道から、清水寺へ向かう約1Kmの坂道はみやげ物店が並びます。
また、清水寺から「坂の途中で転んだら三年の内に死ぬ」という伝説がある産寧坂(さんねいざか)や二年坂を通って八坂神社、祇園一体は古都京都の風情が堪能できる雅な雰囲気が漂っています。

桜と紅葉の時期を外すと、のんびり散策できますので、ぜひ京都へ。

torasanさん

清水寺の紅葉美しいですね~~♪
燃えるようです。~~♪
素敵な風景を見せていただき感謝です。~~♪

みのりさん、おはようございます
いつも有り難うございます。
今年は、高雄に清水寺と、紅葉を堪能しました。

トラさん、こんにちは。
清水寺の写真も綺麗ですね。私も25年前に行ったきりご無沙汰してます。
「アテルイ・モレの碑」があること全く知りませんでした。というか、知識が無かったので見過ごしていたのかもしれません。何時かまた清水寺に行きたくなりました。色々と勉強させていただいております。感謝です。

トラさん♪こんにちは!
今回も交通費も旅支度もなしで
『京都・清水寺の紅葉と「アテルイとモレの碑」』のバーチャル観光ツアー♪
ご一緒させて頂いている気分で楽しませて頂きました(笑)

紅葉も堪能させてもらえて、懐かしい清水の舞台に
も一度立たせてもろて嬉しいです^^

ありがとうございます。
ほんま京都はいいですねぇ。

musaさん、こんばんは
いつも有り難うございます。
25年前の清水寺訪問の時は、もう碑は建っていましたよ(笑)
気付かないのも仕方ないですね。ほとんどの方が素通りしていきますから・・・。
今回も、私が写真を撮っているだけで、誰もカメラを向けていませんでした(笑)
機会があれば、ぜひ関西方面へ来て下さいね。

空模様さん、こんばんは
いつも有り難うございます。
関西出身なので、懐かしいでしょ?

ホントに京都や奈良は良いですね。
京都市内までは、我が家から車で30分もかからずに行けるので、ちょっと出かけてくると言う感覚です。
清水寺が、坂上田村麻呂が建立したと言うこともあまり知られて居ないし、「アテルイとモレの碑」もほとんど知られて居ませんので、今回、紹介させていただきました。

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